書道研究団体 書宗院/創立者 桑原翠邦

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創立者 桑原翠邦

創立者 桑原翠邦

略歴

西暦元号  
1906明治39年1 9月20日、北海道帯広に生れる。名清美。号翠邦。別号魚目。
1921大正10年16 大塚鶴洞に師事。
1924大正13年19 川谷尚亭の益を受く。
1932昭和 7年27 6月、比田井天来の勧めと尽力により札幌鉄道局より鉄道省に転任。傍ら書学院教授として 天来の稽古を手伝った。
1935昭和10年30 3月、東京にて淳風書道会を興し、雑誌「清書之華」発行。
1938昭和13年33 2月15日、比田井天来に「書宗」題字を揮毫していただく。8月、天来の命を受けて北京に渡り、16年12月まで在往3年3ヶ月、諸方面で書を教授した。
1944昭和19年39 招かれて再び大陸に渡航。半年余りにわたり各地を遊歴する。
1948昭和23年43 日本書道美術院理事に就任。毎日新聞社主催、第1回全日本書道展(毎日展)開催。 「日本眼目」審査員出品。
1950昭和25年45 この年より20年余りに亘り、全日本書芸文化院(雑誌「書宗」ー現在の「全書芸」ー)の会長となる。
1957昭和32年52 8月、第1回書宗院展を開催。於東京美術倶楽部。
1958昭和33年53 9月、個展開催。於札幌大丸藤井ギャラリー。12月、東京六本木ミロンガにて桑原翠邦書展開催。
1959昭和34年54 6月、富山県展の審査員を委嘱された。以降、49年まで、新潟、秋田、福岡、静岡、高知、大分などの各県展の審査員を委嘱された。
1962昭和37年57 西独逸巡回「日本のカリグラフィー展」に委嘱出品。
1970昭和45年65 5月、埼玉県越生町、旧関三刹筆頭、龍穏寺山内に書院建築。研究者の道場とする外、自身の書作、養心の所とする。万国博会場並びにパリにおける「ジャパン・アート・フェスティバル」に委嘱出品。(亜字形中「信」)。
1971昭和46年66 全日本書芸文化院会長辞任。顧問となる。
1972昭和47年67 1月、東宮御所へ書道御進講の命を拝す。4月「書宗院報」創刊。5月、比田井天来先生生誕100年記念展開催。実行委員長を務める。
1976昭和51年71 9月、古稀記念桑原翠邦書展開催。於東京銀座・同和画廊。
1983昭和58年78 長野県佐久市天来記念館「皇太子・皇太子妃殿下御来館記念碑」揮毫。
1985昭和60年80 8月、「傘寿記念桑原翠邦書展」開催。於東京新宿・朝日生命ギャラリー。
1993平成 5年88 6月、札幌大丸藤井セントラルに於て、また8月、東京新宿・朝日生命ギャラリーに於て「米寿記念桑原翠邦書展」を開催。全国20余箇所にて協賛桑原翠邦書展を開催。
1995平成 7年90 3月27日、逝去。法名「書宗院翠邦清光居士」
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